『黒い羊』MVにおいて「僕」=平手友梨奈が選択した「転生」からの「独立」【コラム】

2月1日、欅坂46オフィシャルサイトで『黒い羊』のMVが公開された。 初日にMVを見て、気になった点を覚え書きとして書いたのが以下の記事だ。

以下、MVをリピートしまくった結果考えてみたことについて書いてみたい。

MV内での時間経過

欅坂46『黒い羊』MVより(http://www.keyakizaka46.com/s/k46o/?ima=0000

着目したのは同じくお誕生日会のシーンだ。このシーンに映っている子どもは平手友梨奈と同じような服装をしており、この子を幼少時の平手友梨奈=「僕」と解釈するのが自然だろう。


欅坂46『黒い羊』MVより(http://www.keyakizaka46.com/s/k46o/?ima=0000

幸せそうな家族の1コマを映したあと、MVには悲しそうな表情をしている若い夫婦と、おそらく2人の子どもであろう赤ちゃんから未就学児くらいの女の子の写真が並ベられている様子が映し出される。

この場面で、僕は写真の前に並べられたグラスにロウソクが立てられていることが気になった。写真の前にロウソクを立てるというのは仏壇的である。いま自分たちのそばにいない子を、あたかも死んでしまったように扱っているのかもしれないが、ロウソクを立てるというのはあまりにも残酷で強い表現ではないだろうか。

僕はここで次のような仮説を立てた。つまり、水商売をしていた女性(歩いて立ち去ってしまう人)が結婚し、子どもを産んだが、その子どもは亡くなってしまう(詳細は後述)。そこでもう一度夫婦は子どもを産み、亡くなってしまった子を再現するかのように「僕」=平手友梨奈を育てた、という仮説である。

若い夫婦は亡くなった子を悲しみ、テーブルの一部を仏壇のようにしており、その後産まれた子どもの誕生日には大きなケーキを買って手を叩いて喜んでいる。お誕生日会の夫婦が奥の夫婦より年長に見えるのはこのためだ。

欅坂46『黒い羊』MVより(http://www.keyakizaka46.com/s/k46o/?ima=0000

さらにこの夫婦は屋上でもう一度登場する。平手を持ち上げ突き飛ばす男性と受け止めるようにして抱きしめる女性だ。上述の二組の夫婦より年長に見えるこの夫婦は、「僕」が平手友梨奈の年齢にまで成長したためそれに伴い歳を取っていると解釈した。

かつての子を超える年齢にまで成長した「僕」のことを「お前は違う」と言わんばかりに突き飛ばす父親と、「僕」のことを抱きしめつつも赤い彼岸花を渡す母親。そんな夫婦はやはりかつての「僕」のことを忘れることができずにいる。そのバックに「自分の色とは違う それだけで厄介者か」という部分が流れているのも印象的だ。自分たちの意図とは違う成長を果たした「僕」を疎ましく思っているように感じられる。

冒頭の事件現場と階段の子ども

欅坂46『黒い羊』MVより(http://www.keyakizaka46.com/s/k46o/?ima=0000

昨日のコラム覚え書きにも書いたように、平手友梨奈が事件現場を見ているシーンがMVの冒頭にある。そしてkikkaさんも指摘しているように、ラスト5分8秒ごろには菅井?の 「誰かが落ちてきた」、「あっホントだ(たぶん)」というセリフ、5分17秒ごろには平手の「バイバイ」というセリフを聴き取ることができる。

昨日の段階で、「事件現場で死んでしまったのは「僕」=平手友梨奈で、それは屋上で飛び降りたため」、つまりMV全体が円環構造になっていると考えていた。「バイバイ」というセリフは「僕」の最期の挨拶だと思っていた。しかし同時に引っかかっていたのは屋上には高いフェンスがあり、平手はそのフェンスを乗り越えようとしてはいないという点だった。(MVのためにフェンスを立てたわけじゃないだろうけど、フェンスのある場所を選ぶことはできる。あるいはフェンスを越えるという演出を加えることができる)

欅坂46『黒い羊』MVより(http://www.keyakizaka46.com/s/k46o/?ima=0000

「MVが終わった後に乗り越えたのでは?」と言われればそれまでかもしれないが、このフェンスを見て、以前にはフェンスがなかったため飛び降りることができたが、事故が起きたためフェンスが設置、今はフェンスがあるため飛び降りることはできない、と連想した。屋上に向かう平手が悲しみに暮れたような表情で、直前にはなにかを叫んでいるのは、亡くなったかつての「僕」の最期の場所だったからではないだろうか。つまり事件現場で亡くなったのはかつての「僕」であり、自分がその子の代わりに生まれたことをことを知った「僕」=平手友梨奈はその場所を訪れている。そして屋上では悲しみが爆発。平手の渾身のソロダンスではその悲しみが見事に表現されている。

階段の途中では、亡くなったかつての「僕」の最期の姿が再現され、屋上には「誰かが落ちてきた」という当時のセリフが響き渡る。(「誰かが落ちた」ではなく「誰かが落ちてきた」であり、視点は下からのものだ。屋上で発せられるセリフとしてはおかしい)ここでも、さきほどの夫婦と同じように別の時間や記憶が混ざっている。

そうだとすると平手がフェンスを見ながら発する「バイバイ」というセリフはかつての「僕」に向けられたものだろう。最期の場所である屋上の途中にある、かつての「僕」が登場する祭壇にような階段も、事件現場に設置された献花台のように見える。

冒頭の事件現場にマスコミやヤジ馬が集まっているのも、かつての「僕」の死が事故ではなく事件性を伴った非業の死であったことを表しているのかもしれない。この解釈なら子どもを失った両親の悲しみも強調される。

「全部僕のせいだ」と「バイバイ」

以上のようなことを考えてみると、若い夫婦とお誕生日会をしている家族の近くを通り過ぎた後、「僕」=平手友梨奈が急に苦しそうになり「全部僕のせいだ」と言うのはなぜだろう?「僕」=平手友梨奈が苦しんでいるのは、かつての「僕」を再現しようとした両親に不満を感じているからだろうか。それとも、両親の理想のように成長することができなかった自分に申し訳なさを感じているのだろうか。

その直後の歌詞は「黒い羊 そうだ僕だけがいなくなればいいんだ」「そうすれば止まってた針はまた動き出すだろう」である。MVにおいてここで表現されているのは、代わりの子として生まれた「僕」=平手友梨奈の苦悩だろう。背景にブラウン管のテレビが映っていることから、その時代から時間が止まっていることも示唆されている。Wikipedia情報だが、ブラウン管テレビの最終機種が発売された時期が2002年から2005年と、平手友梨奈の誕生年2001年にも近い。

そんな「僕」=平手友梨奈は、階段でかつての「僕」から赤い彼岸花を受け取ると、屋上では「バイバイ」と別れを告げる。ここに表現されているのは自殺ではなく、過去との決別であり、成長ではないだろうか。つまり、「僕」=平手友梨奈は代わりの子として生まれた自分のアイデンティティーに別れを告げたのである。

赤い彼岸花の花言葉には「情熱・独立・再会・転生」「あきらめ・悲しい思い出・思うはあなた一人・また会う日を楽しみに」などの言葉が並ぶ。MVのラストにて「僕」=平手友梨奈は、赤い彼岸花を手に「悲しい思い出」の場所で「転生」を期待した両親からの「独立」を選択した。そんなふうに解釈することも可能ではないだろうか。

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